2019.04.11
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津田梅子はどんな人物だったのか?改めて実績や功績等を調査!


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どうも、エイヒレです!

 

49日に政府より

1万円、5000円、1000円の紙幣を

一新することが明らかにされました。

 

2024年度の上半期をめどに

刷新するとのことですが、

同時に新札のイメージも公開されました!

 

今回は5000円札の肖像として

選ばれた『津田梅子』さんについて

書きたいと思います。

 

次期5000円札の肖像となる

津田梅子さんについて

  • どんな人物?経歴は?
  • 実績や功績等は?
  • 有名なエピソードは?

以上を徹底調査しました!

 

記事の後半では

新しい紙幣イメージが発表されたときの

テレビのニュース動画を掲載していますので、

ぜひ見てみてくださいね!

 

まずはじめに、津田梅子さんとは

どのような人物なのか、人柄や経歴について

見ていきましょう!

 

 

 

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どんな人物?経歴は?

 

  • 本名    津田 梅子(つだ うめこ)
  • 生年月日  18641231
  • 出身    江戸牛込南御徒町
    現 東京都新宿区南町
  • 出身校   ブリンマー・カレッジ(アメリカ)

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E7%94%B0%E6%A2%85%E5%AD%90

 

梅子は津田仙の次女として

東京で生まれました。

 

幕府の崩壊と共に仙は幕臣の職を失い、

築地でホテル業を始めます。

 

幼少期はお父さんの手がける

菜園の手伝いなんかをしながら

踊りや手習いを学んでいたそうです。

 

明治初期に仙は北海道開拓使の嘱託となり、

当時女子教育にも関心が高まっていたことから

娘である梅子を女子留学生に応募させ、

岩倉使節団に随行させます。

 

梅子は最年少の満6歳で渡米するのでした。

 

まだまだ親と離れるのは寂しい年齢であり、

今のように海外に行き来しやすい時代でも

なかったと思います。

 

“可愛い子には旅をさせろ”とは

まさにこのことですね!

 

梅子はアメリカで長い年月を過ごします。

 

明治11コレジエト校を卒業し、

その後はアメリカの私立女学校へ進学しました。

 

梅子は勉強もとてもできた人物のようで

ラテン語、フランス語、自然科学や心理学、

芸術など多岐にわたる分野を学びました。

 

開拓使から帰国命令が出るなか、

梅子は延長を申請し、結果的に

明治15年に日本へ帰国しました。

 

幼少期からの長い間を

すべてアメリカで過ごされた梅子ですが、

アメリカでの生活がよほど

充実していたのですね!

 

しかし、きっと日本のご家族は

寂しかったに違いありませんね(笑)

 

帰国後は、長年の留学生活で

日本語の方が危うくなってしまい

通訳が必要となるほどだったようです。

 

梅子は華族女学校英語教師になりましたが、

日本の上流階級の制度に馴染めず、

二度目の留学をすることになります。

 

出典:https://twitter.com/mumechan1

 

名門女子大学に入学し生物学を学び、

過程終了後には日本の女性教育

関心を持ち始めた梅子は、

留学を一年延長すると

留学したい日本女性のために奨学金を設立します。

 

帰国後数年は再度教師として勤めますが、

明治33現在の津田塾大学である



「女子英学塾」を設立し、

塾長に就任しました。

 

華族や平民の区別をなくし、

女性が学びやすい環境を整えました。

 

現在女性活躍が進められている日本において、

先駆けになるような人物ですね!

 

賢く聡明で、行動力のある女性で、

とても魅力的な人物です!

実績や功績等は?

 

梅子が行ったことはどれも

前例のないことばかりなのですが

敢えて功績や実績を挙げるなら…

6歳にしてアメリカに留学し、

むこうの文化や考えを学び日本に

取り入れたこと。

 

アメリカにて日本女性の地位の

低さなどの実情を訴える公演を開き、

寄付金8000ドルを集め、

「日本婦人米国奨学金制度」を設立したこと。

 

身分などを取り払い

女性が一律に学びやすい環境を整え、

津田塾を開校しその学長を務めたこと。

 

この三つでしょうか。

 

津田梅子は日本女性の地位の低さを払拭すべく

女子の教育に生涯を捧げた偉人です。

 

この方がいなかったら、今の日本女性は

どうなっていたのでしょうか…。

 

5000円札の顔になるのも

まったく頷けますね!

 

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有名なエピソードは?

 

梅子は幼少から長くアメリカで

生活していたことから、

日本の価値観があまり馴染めなかったようで、

とくに「結婚は絶対に嫌!」

公言していたそうです!

 

梅子は今で言うキャリアウーマンなので、

せっかくアメリカで身につけた知識や見聞を

ないものにするのが嫌だったのでしょうね。

 

これには、共感できる現代の女性も

多いのではないでしょうか。

 

梅子が家庭に収まるような女性では

なかったということがハッキリわかる

エピソードですね!

 

そんな津田梅子が肖像となる5000円札の

イメージはこちらの動画で見ることができます!

 

 

是非合わせてご覧くださいませ!

 

まとめ

 

ここまで津田梅子さんについて

  • どんな人物?経歴は?
  • 実績や功績等は?
  • 有名なエピソードは?

を調査してきました。

 

いかがでしたでしょうか?

 

社会や歴史の授業で必ず習う人物

“津田梅子”さんですが、

「名前は聞いたことがあるけど、

実際に何をした人なのかはわからない」

という方も多いかと思います。

 

調べてみると、現在の日本の女性の

地位の確立・向上に人生を捧げられた

立派な方という事がわかりました!

 

今回は津田梅子さんについて

書かせていただきました!

 

ここまで読んでいただき

ありがとうございました!

 

 

 

 

 


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