2019.04.27
2019.04.29
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渋沢栄一の実績と功績が凄すぎる!新紙幣も納得の偉業を調査!


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ぽんぴょこ
にゃんこ!ぽんぴょこです!

 

2024年度前半に

1万円、5千円、1,000円の各紙幣が

20年ぶりに刷新することを、

麻生太郎財務相が発表しました!

 

ちなみに1万円札の肖像は福沢諭吉から

「日本資本主義の父」渋沢栄一に変更され、

約40年ぶりの出来事だそうです!!!

 

ついに!ついに!!

僕らの諭吉さんが1万円札から

いなくなってしまいます…!

 

平成生まれのぽんぴょこにとって

ずっと福沢諭吉先生が1万円だったので

元号と同じくらいビックリなニュース!

 

もう「諭吉を数える」って言えないですね!

「栄一を数える」っていうのかな?

まだしっくりきませんね><;

 

渋沢栄一については

「なんかすごい人」

っていう認識でした(笑)

 

みなさんはご存知でしたか!?

 

知っている人も知らない人も

改めて、どんなにすごい人なのか

見ていきましょう♪

 

ということで今回は、

  • 凄すぎる実績と功績!
  • 新紙幣も納得の偉業!

の順でお話ししていきますね。

 

 

 

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凄すぎる実績と功績!

出典:https://www.shibusawa.or.jp/index.html

 

渋沢栄一は「日本資本主義の父」と呼ばれる

日本を代表する経営人の1人です。

 

さっそく生い立ちから実績まで見ていきましょう♪

 

  • 名前  渋沢栄一
  • 生誕  1840年3月16日
    (天保11年2月13日)
  • 出身  武蔵国榛沢郡血洗島村
    (現埼玉県深谷市血洗島)
  • 死没  1931年11月11日(満91歳没)
  • 職業  幕臣、官僚、実業家、教育者

出典:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%8B%E6%B2%A2%E6%A0%84%E4%B8%80

 

渋沢栄一の誕生

渋沢栄一は江戸時代後期の

1840年3月16日(天保11年2月13日)

武蔵国(現在の埼玉県深谷市)の農家に

生まれます。

 

出身である深谷の駅前には

からくり時計があり、時間になると

渋沢栄一が現れます!

 

かわいいですね(笑)

 

実家は藍玉の製造販売と養蚕を兼営

米、麦、野菜の生産も手がける農家でした。

 

小さい頃から親の手伝いをしていたそう。

一般的な農家と異なり、

原料の買い入れと販売を行っていたため

そろばんを常にはじいていたそうです。

 

また、14歳の頃には単身で原料の仕入れに

出かけるようになりました。

 

14歳にしてもう立派な商人!素晴らしい!

 

小さい頃の商売の経験が

後の現実的な合理主義思想に繋がったんですね!

 

その後1858年、

渋沢栄一は19歳で結婚します。

 

渋沢栄一の実業家以前

1861年に江戸に出て海保漁村の門下生、また

北辰一刀流の千葉栄次郎の道場に入門します。

 

渋沢栄一は実業家っていうイメージが

強かったんですが、もともとは

武士だったんですね!!!!

 

江戸では勤皇志士と呼ばれる

「天皇を守る志しのある人たち」

と親しくなります。

 

その人達の影響からか

天皇を尊ぶ「尊王」論

外国を打ち払う「攘夷」論が合わさった

「尊王攘夷思想」影響を受けたそうです!

 

そして渋沢栄一は

高崎城乗っ取るなどして

幕府を倒す計画を立てたそう…!

 

あの優しいお顔からは想像がつきませんね!

若い頃はイケイケ(死語)だったのでしょうか!?

 

ちなみにこの計画は中止となっています。

いやあ、中止になって良かったですよ本当。

 

その後なんやかんやあり、

尊王攘夷運動に行き詰った渋沢栄一は

江戸での勉学時代に交際があった

一橋家家臣の推挙により

一橋慶喜に仕えることになります。

 

一橋慶喜は、後の徳川慶喜ですね!

 

1867年、徳川慶喜が将軍となり

渋沢栄一は幕臣となります。

 

同年には渡欧し、

先進的な産業・軍備を自分の目で見て

新知識を吸収します!

 

海外で見た文化や産業が、その後の

渋沢栄一の事業に様々な影響を与えたんですね。

 

明治維新後に帰国し、

その後明治政府の「大蔵省」に勤めます。

※大蔵省は現在の財務省のこと。

 

国立銀行条例などに携わり、

第一国立銀行や抄紙会社の設立などに

尽力したそう。

 

第一国立銀行は、現在のみずほ銀行、

抄紙会社は、現在の王子製紙のことです!

 

みんなが聞いたことのある会社ばかりですよね。

びっくりです!!

 

農家から武士から政府のお仕事も!

実業家になるまでの様々な経験が

役に立っているんですね。

 

渋沢栄一の実業家時代

1873年に大蔵省を辞した後、

渋沢栄一は実業家へ転身します。

 

実業家として初めて行ったのは

官僚時代に設立を先導していた

第一国立銀行の総監役

 

後に頭取に就任し、活躍していきます!

 

第一国立銀行を拠点に、

株式会社組織による企業の設立 ・育成

力を入れていきます。

 

生涯には約500もの企業に関わり、また

約600の教育機関 ・社会公共事業の支援にも

尽力します。

 

数が半端ないですね…!

 

大蔵省を辞めたのは34歳頃なので、

そんな若い頃から活躍していたなんて

栄一さん凄すぎますわ…

 

詳しくは次でお話していきますね。

 

 

 

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新紙幣も納得の偉業!

1万円の顔になるくらいだから

相当すごい事をしてきた人なんだろうな!

と思いますよね?

 

その通り!まじで凄いです(笑)

 

何がすごいって、

携わった企業の数もそうですが結果として

その企業を「自分の会社」にしていないこと!

 

あくまで経営の指導をして

後見人として関わっていたのです。

 

なので事業が軌道に乗ると、

その会社に権利を渡して、

自分は次の事業に注力していきます。

 

軌道に乗ったら

「俺の役目は終わった」

的なかっこいいセリフを言って

去っていったのでしょうか!?(妄想)

 

渋沢栄一かっこよすぎでしょ!!!(悶え)

 

 

数々の企業の設立 ・育成に携わる

渋沢栄一は生涯約500もの企業に関わりました!

 

いくつか挙げてみると…

  • 第一国立銀行(現在のみずほ銀行)
  • 抄紙会社(現在の王子製紙)
  • 東京海上火災保険(現在の東京海上日動火災保険)
  • 帝国ホテル
  • 東京瓦斯(現在の東京ガス)

などなど!

知ってる会社ばかりですね!

 

金融・鉄道・製薬・製紙・電力・建設…などなど

今では当たり前に整備されている、

日本人の生活に欠かせないもの全てですね!

 

渋沢栄一が日本の

近代国家の建設を行っていく中で、

とても大きな役割を

果たしていることがわかります。

 

教育機関 ・社会公共事業にも尽力

渋沢栄一は企業だけでなく、

教育・社会事業にもその名を刻んでいます。

 

当時は実学教育に関する意識が薄く、

実業教育が行われていなかった時代。

 

そこで渋沢栄一は教育にも力を入れ

  • 商法講習所(現一橋大学)、
    大倉商業学校(現東京経済大学)の
    設立に携わる
  • 二松學舍(現二松學舍大学)の
    第3代舎長に就任
  • 男尊女卑の影響が残っていた
    女子の教育の必要性を考え、
    女子教育奨励会を設立
  • 日本女子大学校・東京女学館の
    設立に携わる

などなど様々な公共事業にも尽力しました!

 

これら数々の偉業を成し遂げた渋沢栄一は

「日本資本主義の父」とも呼ばれているんです。

 

こちらも是非ご覧ください!

 

まとめ

出典:https://www.fnn.jp

 

いかがでしたか?

今回は、渋沢栄一について

  • 凄すぎる実績と功績!
  • 新紙幣も納得の偉業!

についてお話してきました!

 

渋沢栄一が生まれたのは身分制度のある時代。

 

実際に世の中を支えているのは庶民なのに、

武士だから、役人だからと、

庶民が下に見られている事に

ずっと疑問を感じていたそう。

 

人々が平等に幸せに暮らす日本を目指し

資本主義体制の近代化を進めていったんですね。

 

このインフラが整備された日本があるのは

渋沢栄一のおかげ!!!!

といっても過言ではありません!

 

2024年の新紙幣の発行が楽しみですね♪

 

 


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