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こんにちは、くまごろうです!
横綱稀勢の里は1勝4敗となり、
怪我のため休場となりました。
これで5場所連続の休場となり
春場所は進退をかけての取り組みになると
もっぱらの話になっていますね。
ちょうど1年前の初場所は、
劇的な優勝と横綱就任
そして昨春場所と連続優勝し
日本人横綱として絶大な人気がありましたよね。
1年の間に一気に空気感が変わってしまい
びっくりしますよね(汗)
ただ、相撲に詳しい人にとっては、
怪我が治ったら強い横綱が戻ってくるのか
非常に微妙というのが大勢で、
このまま引退もありうるということです。
そこで、こちらでは、横綱稀勢の里について
- 休場で引退危機なのか?
- 横綱短命記録や親方就任・部屋設立を調査!
を調査していきます!
また、この記事の後半では、
横綱稀勢の里の昨年春場所の優勝時の
取り組みやインタビュー動画を掲載しています!
ぜひ合わせてご覧になってください!
ページコンテンツ(目次)
休場で引退危機なのか?
さて、早速ですが、
稀勢の里は今回の休場により
引退危機がやってくるのでしょうか?
まず、引退の可能性が囁かれる
一番の理由は、連続休場記録にあります。
今回で5場所連続休場です。
横綱になってこのように
連続休場が長くなるとほぼ引退になります。
今回比較されているのは
武蔵丸の連続休場記録6回ですが
武蔵丸は再度出場した場所で
3勝5敗となり、引退をしています。
また、平成の大横綱である貴乃花は
あの小泉首相が「感動した!」とコメントした
あの優勝以降7場所連続休場し、
再度土俵に上がって12勝3敗と成績を残すも
次場所を休場し、復帰場所で4勝4敗となった時点で
引退を決めています。
つまり、怪我による長期休場明けで
横綱を継続している力士はほぼいないです。
唯一、連続休場明けから
伝説を残したのは
昭和の大横綱である大鵬です。
大鵬は、4場所連続休場の後から
45連勝と大記録を打ち立てましたが、
今の稀勢の里とは状況が若干違います。
というのも、当時の大鵬は28歳と
まだまだ若かったというのが一番違います。
現在の稀勢の里は31歳です。
というか32歳になる年なんですね。
頭を使う世界であれば年齢は関係ないですが
スポーツの世界は著しく影響がでるでしょう。
やはり若い、最新のトレーニングや技術を
学んでいる力士は手強い相手です。
若ければそれでも勝てる可能性がありますが、
32歳という年齢で、彼らをはねのけて
勝ち続けるのは非常に難しいでしょうね。
しかも、大鵬時代と比べると
今はモンゴル力士という強者もいますから
怪我が万全でない状況で今後横綱として
勝ち続ける、威厳を保ちつづけるのは、、、
ということです。
ネット上の評価ななどをみても
そんな意見が多いですね。
また、最近の横綱の引退年齢を見ても
32歳を迎える稀勢の里の厳しさがにじみ出ます。
四股名 | 引退年齢 |
千代の富士 | 36歳 |
北勝海 | 28歳 |
大乃国 | 28歳 |
旭富士 | 31歳 |
曙 | 31歳 |
貴乃花 | 30歳 |
若乃花 | 29歳 |
武蔵丸 | 32歳 |
と見てもらっても、
大横綱の千代の富士が36歳ですが、
それ以降は32歳が一番長いという現状です。
休場が長くなっているのも
年齢による影響も拭うことができず
こんなデータからも厳しさが見えてきますね。
もちろん、僕もそんなことなく
日本人横綱が残ってほしいという想いが
ありますけど、実力の世界ではそうはいきません。
まずは来場所の活躍を期待するしかないですね。
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横綱短命記録や親方就任・部屋設立を調査!
さて、仮に稀勢の里が引退するとなると
記録的にどうなるのかということと、
引退後の稀勢の里がどのように進んでいくのか
というのをまとめていきますね!
まず、稀勢の里がもし来場所で成績が振るわず
引退となった場合、在位7場所での引退となります。
結論からすると第二位の短い記録となってしまいます。
ただ、1位記録も70年前の記録ですので
最近の記録としては8場所というのが最短です。
これまでの短期間での横綱引退は以下のとおりです。
順位 四股名 在位数 在位期間 在位中成績 1位 前田山英五郎 6場所 1947年11月-1949年10月 24勝27敗5休、優勝なし 2位 琴櫻傑將 8場所 1973年3月-1974年5月(番付上は1974年7月) 66勝34敗20休、優勝1回 三重ノ海剛司 1979年9月-1980年11月 55勝23敗30休、優勝2回 双羽黒光司 1986年9月-1987年11月(番付上は1988年1月) 74勝33敗13休、優勝なし 5位 旭富士正也 9場所 1990年9月-1992年1月 71勝29敗24休、優勝1回 6位 玉の海正洋 10場所 1970年3月-1971年9月(現役中に急病死) 130勝20敗0休、優勝4回 7位 若乃花勝 11場所 1998年7月-2000年3月 61勝38敗57休、優勝なし 8位 隆の里俊英 15場所 1983年9月-1986年1月 95勝42敗75休、優勝2回 9位 朝潮太郎 (3代) 16場所 1959年5月-1961年11月(番付上は1962年1月) 102勝58敗95休、優勝1回 10位 吉葉山潤之輔 17場所 1954年3月-1958年1月 109勝67敗79休、優勝なし 栃ノ海晃嘉 1964年3月-1966年11月 102勝69敗84休、優勝1回 出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E7%B6%B1#%E7%9F%AD%E5%91%BD%E6%A8%AA%E7%B6%B1
なんとか復活して少しでも長く
強い稀勢の里をみたいですね。ホントに。
さて、ただ年齢的にも、
そう遠くない時期に引退を
視野に入れなくてはならない
稀勢の里は引退後はどのような道に進むのでしょうか?
これについては明確な答えがあって
親方になり相撲部屋を持って弟子を指導する
ということになりますね。
というのも、
稀勢の里は2009年に荒磯という
親方になる権利である”年寄名跡”を獲得しています。
なので、引退後は
親方として相撲協会に所属して
後進の指導に励むことは間違いありません。
ちなみに、
この年寄名跡ってすごい価値があるの
知っていましたか?
現在年寄名跡というのは、
105個しかなくて
常に継承や譲渡されて繋がれていくものなんです。
なので、
年寄名跡を持っていないと
引退後に相撲協会に残ることはできず
就職活動をする必要が生じてきます。
で、この年寄名跡ですが、価格は、
1億円~3億円という値段が付いています!
というのも、
年寄名跡を持って親方になることで
相撲協会から最低でも年間1200万円ほどの
給料が支給されることになり、
役員や理事などの役職につくことで
年収2000万円とも言われます。
すごく価値にあるものなんですね!
しかし、仮に年寄の価格が1億円として
30歳で引退すると、年寄の定年は65歳なので
35年間の給与が保証されるという
スペシャルアイテムなんですね!
この場合の単純計算では
2.5億円のプラスです!(笑)
ただ、年寄名跡の売買は現在では
禁止されているということなんですが、
本当にそうなのかわかりませんよね(笑)
さて、話を戻しますが、
既に年寄名跡を取得している稀勢の里は
引退後は親方になることができます。
ただ、親方だけだと後進の指導するためには
どこかの部屋の部屋付き親方という形になってしまいます。
一国一城というよりは、
居候的な親方にも見えなくもありません。
しかし、相撲部屋の新設は
以下の条件を満たすことにより
新設することができます。
- 横綱もしくは大関(大関から陥落した力士も含む)
- 三役(関脇・小結)通算25場所以上
- 幕内通算60場所以上(番付制限なし)
※師匠の了承、引退後1年以上経過、理事会の承認が必要。
稀勢の里は横綱ですので、
ほぼ間違いなく相撲部屋を持つことができますね!
ということで、稀勢の里には最後の意地を
見せてもらってもう一度優勝をみたいですが、
引退後に強い力士を育てている稀勢の里も
みたいなという気持ちも出てきますね!
さて、お待たせしました!
新横綱初優勝の稀勢の里の取り組みと
インタビュー動画です!
ぜひ合わせてご覧になってください!
さらに、稀勢の里の特集本ですね!
気になった方はぜひチェックしてみてください!
また、相撲関連の記事を書いています!
ぜひ下記リンクからご覧になってみてください!
まとめ
さて、ここまで、稀勢の里について
- 休場で引退危機なのか?
- 横綱短命記録や親方就任・部屋設立を調査!
を調査してきました!
いかがでしたでしょうか?
2018年初場所休場は非常に残念ですが、
まずは来場所での復活を期待したいですね!
ただ、勝負の世界は厳しいですから
引退後の稀勢の里も応援していけたら
いいなと思います!
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