2018.10.23
2019.01.12
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奥村チヨは韓国なの?はデマ!?引退理由は?旦那や子供・孫について!


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こんにちは、くまごろうです!

 

奥村チヨさんというと

官能的な歌で一躍有名になった歌手で、

当時にその歌を聞いた人は

衝撃的だったでしょう。

 

若い頃を知らない人でも

現在の若々しい姿は魅力的であり、

どうしたらきれいな外見のままで

年齢を重ねられるのか、

その生活についても

興味津々ではないでしょうか。

 

そんな奥村チヨさんについて

  • 奥村チヨさんの経歴や韓国人説を調査!
  • 引退理由が気になる!
  • 旦那や子供・孫について!
  • まとめ

という内容で紹介しましょう。

 

この記事の途中では奥村チヨさんの歌う

『終着駅』の動画を載せています。

是非最後までごゆっくりとご覧ください。

 

 

奥村チヨさんの経歴や韓国人説を調査!

 

奥村チヨさんの基本プロフィールです。

本名 奥村 智代(おくむら ちよ)
生年月日 1947年2月18日(2018年10月現在71歳)
出身地 千葉県野田市(三歳から大阪府池田市に転居)
歌手デビュー 1965年

 

奥村チヨさんは夙川学院高校に在学している時、

小野薬品のCM曲を歌う

歌手のオーディションに知人が応募し、

そのCMが好評を得て東芝レコードから

1965年にデビューします。

 

その美貌と歌唱力から

東芝レコードも大々的に売り出し、

黛ジュンさん、小川知子さんと共に

「東芝三人娘」でレコードを出し、

その人気が確定的になっていきます。

 

1969年に発売した「恋の奴隷」

官能的な歌詞で流行歌になり、

51万枚を売り上げたことで

NHKの紅白歌合戦に初出場を果たしました。

 

 

しかし歌詞がNHKの内部倫理に抵触するとして

「恋の奴隷」は選曲せず、

「恋泥棒」という曲で出場します。

 

1974年に結婚を契機に

芸能界の一線から退きますが、

1980年にビクターから

「せめてさよならは…」で活動を再開します。

 

1993年には回顧主義から

1960年代ブームが起こり、

そこで「恋の奴隷」が

テレビのバラエティー番組などで取り上げられ、

再び売れるという珍現象が発生しました。

 

奥村チヨさんを検索すると

「韓国人説」という項目がヒットしますが、

奥村チヨさん自身は

日本人の両親から日本国内で生まれていて、

純粋な日本人であるのがわかっています。

 

どうして「韓国人説」が出るのか

理由は名前が原因だと考えられ、

奥村チヨさんは結婚して現在の名前は

「金野 智代」(こんの ちよ)で、

このことが奥村チヨさん韓国人説に

直結した可能性が高くなっています。

 

「金」という苗字は

韓国人に多くある苗字であり、

「金野」(こんの)という苗字が

本名だと検索されるようになったため、

韓国人ではと誤解されたみたいです。

 

また大阪府に長く住んでいたことから、

大阪に多く住んでいる

在日朝鮮人の方ではとも思われたようです。

 

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引退理由が気になる!

 

奥村チヨさんは2018年1月6日に

事務所を通じたFAXで

2018年いっぱいをもって

芸能活動から身を引くと報告しました。

 

この突然の引退報道には

ファンも驚いたでしょうが、

その理由についても述べています。

 

引退の理由について

歌手としての引き際が肝心と考え、

自分自身が持っている美学に基づいて

決断したと言っています。

 

この理由から年齢と共に衰える歌唱力から

プロ活動が難しいと判断し、

プロの技術が提供できないなら

歌手から引退するということでしょう。



 

プロで人々にその技術を見せ続けてきた人にとって、

人に見せるにはほど遠い技術だと自覚してしまうと、

その場に立ち続けるのは

プロ失格だという考えになります。

 

歌によって一時代を築いた奥村チヨさんだからこそ、

その美学に反することは

自分自身を否定することと同じだったはずです。

 

旦那や子供・孫について!

 

奥村チヨさんは1974年の27歳の時に結婚していて、

お相手は作曲家の浜圭介さんです。

 

浜圭介さんは奥村チヨさんより1歳年上で、

満州の収容所で生まれるという

数奇な誕生をしています。

 

日本に引き上げると

北海道や青森県に住んでいましたが、

歌手になりたくて16歳で上京して

18歳で歌手デビューします。

 

しかし人気が出ずに

何度か引退と再デビューを繰り返した後、

作曲家と歌手を平行して行っていた時に

「終着駅」を作ります。

 

浜圭介さんは

コミカルな歌を作っていましたがヒットせず、

奥村チヨさんも自分の路線を変えたいと

思っていた時だったため、

この「終着駅」のヒットは二人の絆を強くしました。

 

 

結婚してからも浜圭介さんは

奥村チヨさんに多くの楽曲を提供し、

他にも八代亜紀さんへの「雨の慕情」

桂銀淑さんへの「大阪慕情」など

多くのヒット曲を出して

紫綬褒章を受章しています。

 

結婚したのは浜圭介さんが28歳で

奥村チヨさんが27歳なのですが、

残念なことに二人に子供は授かりませんでした。

 

もしも生まれていたら

音楽の才能に溢れた子供だったかもしれないので、

とても残念ではあります。

 

しかし、もう少しで金婚式を迎えるお二人にとって、

お互いが近くにいることが最高の幸せでしょう。

 

こちらは、奥村チヨさんのベストアルバム

『奥村チヨ ゴールデンベスト』です!

気になったら是非チェックしてみてくださいね。

 

 

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まとめ

 

芸能界の第一線で活躍を続けた人でも、

いつかは身を引かなければいけない時期が

やってきます。

 

歌手というのはその実力が

目の前に出てしまうものであり、

本物の人であるほど、

その実力が低下するのは許せないでしょう。

 

あの歌声を聞くことができなくなるのは

とても残念ですが、

これからの時間を夫である浜圭介さんと

一緒に送って下さい。

 

 


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