調べたい!

金澤翔子(書家)の数々の苦難や生み出す作品の魅力も調査!


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ありす
みなさん、こんにちは!ありすです!

 

 

 

 

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金澤翔子(書家)の経歴は?

出典:https://www.nippon.com/ja/views/b06504/

 

金澤さんは、書家である母の

「金澤 泰子」さんの影響で、

1990年、金澤さんが5歳の頃から

書道を始めたそうです。

 

では、金澤さんの輝かしい経歴

見ていきましょう!

 

1995年  全日本学生書道連盟展に
「花」を初出品。

1999年  日本学生書道文化連盟展に
「龍」を出品して、銀賞を受賞。

2000年  日本学生書道文化連盟展に
     「延命十句観音経」を出品して、
     銀賞を受賞

2001年  日本学生書道文化連盟展に
     「舎利札」を出品して、
     学生書道としては最高位である
     金賞を受賞。
     その後、「矢口養護学校」に進学。

2002年  日本学生書道文化連盟展に
「觀」を出品し金賞を受賞。

2003年  荒井裕司が理事を務める
     「ステップアップアカデミー
     (現・翔和学園)」に入学。(中退)

2004年  書家としての号「小蘭」を取得。

2005年  最初の個展である、
     「翔子 書の世界」を銀座書廊で主催。

2006年10月  建長寺に「慈悲」を奉納。

2009年11月  建仁寺に「風神雷神」を奉納。
        この作品は同寺蔵の国宝である、
        「風神雷神図」の隣に展示されて、
        大きな反響を呼んだそうですよ!

2012年1月  福島県いわき市に、
       自身初の常設館である「金澤翔子美術館」を
       開設して、館長となる。
       NHK大河ドラマである
       「平清盛」の題字を担当。
       金澤さんは、美術館の館長まで
       されているんですね!

 

他にも、国体の開会式や天皇の御製を

揮毫したり、紺綬褒章を受章したりと、

華々しいご活躍をされているそうで、

現在は、「日本福祉大学客員教授」

「文部科学省スペシャルサポート大使」

されているそうですよ!

 

5歳の頃から書道を始めた金澤さんですが、

元々は、母である泰子さんが、

金澤さんにお友達を作ってあげたい!

という思いから、自宅に書道教室を

開いたことがきっかけだったそうです。

 

その書道教室には、4人の生徒さん

いたそうなんですが、

その中で金澤さんだけが、

最初から正しく筆を持つことが出来たそうで、

その時に泰子さんは、

「この子には書の可能性が

あるのかも知れない!」

と思ったそうです。

 

その直感は、見事に当たりましたね!

 

 

 

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数々の苦難や生み出す作品の魅力も調査!

 

金澤さんは、母である泰子さんが

42歳の時に、いわゆる「高齢出産」

誕生しました。

 

そして、金澤さんが新生児の時に、

「敗血症」にかかってしまい、

その後、金澤さんは「ダウン症」であると

診断を受けました。

 

初めての出産でとても喜んでいた

泰子さんでしたが、医師から

「ダウン症である」と宣告された時は

「我が子と一緒に死のう…」

とまで考えたそうです。

 

ですが、そんな苦悩の中、

泰子さんが泣きながら授乳をしていた時、

まだ幼い金澤さんが、



小さな手を差し伸べて、

母である泰子さんの涙を拭って

微笑んだそうなんです!

 

その時のことを泰子さんは、

「翔子の生きようとする意志、

優しさと賢さに救われた」

と、語っています。

 

私自身も、双子の子育てで

毎日が目まぐるしく、

思うように出来ない毎日で、

「こんな自分が、双子をちゃんと

育てていけるのだろうか…」

と、泣きながら過ごしていた

時期がありました。

 

そんな時に、私を救ってくれたのは、

やはり、我が子達の笑顔でした。

 

やはり、「我が子の笑顔」というのは

母親を強くしてくれますよね!

 

その後、金澤さんは小学生になり、

お友達もたくさんできて、

楽しい日々を過ごしていました。

 

しかし、金澤さんが小学校4年生の時に、

担任の先生から、特別支援学級のある学校に

転校するように告げられてしまいます…。

 

とても楽しく学校生活を過ごしていた

金澤さんは、とても悲しい思いを

されたことでしょう。

 

そして、母である泰子さんも

このつらい時期を、どう過ごすか

とても悩んだそうです。

 

そこで泰子さんは、金澤さんに

仏教の精髄を276文字で表現した

「般若心経」を書かせることを

思いついたそうです。

 

まだ10歳で、さらに「ダウン症」という

ハンディキャップのある金澤さんにとって、

難しい漢字が連なる般若心経を

書くということは、とても難しく

無謀な挑戦のように思われました。

 

確かに、276文字も難しい漢字を

毛筆で書くなんて、大人でも

そう簡単に出来ることではないですもんね!

 

ですが、昼も夜も一生懸命

「書」に取り組んだ金澤さん。

 

母の厳しい指導に、時には

泣きながら書くこともあったそうです。

 

こうして1995年に、

「涙の般若心経」は出来上がりました!

 

その時のことが、再現された動画がこちらです!

 

 

幼い金澤さんの努力と、

親子の絆に、思わず目頭が

熱くなってしまいました!

 

さらに、金澤さんは14歳の時に

最愛の父である、裕さんを心臓発作で

亡くしています。

 

52歳という若さでした。

 

とても悲しい出来事でしたが、

金澤さんの人生にとって、

光も灯してくれました。

 

父である裕さんは、生前に

「翔子が20歳になったら個展を開こう!」

とおっしゃっていたそうで、

その思いを、妻である泰子さんが継いで、

個展を開くことを決断しました!

 

そして、2005年12月に

東京の銀座にあるギャラリーで

「翔子 書の世界」が開かれました!

 

この展覧会には、たくさんの人達が来場して、

感激して、涙を流す人もいたそうですよ!

 

その展覧会の様子が、テレビや新聞、

インターネットで伝えられて、

金澤さんは、「ダウン症の天才書家」

として、注目を集めて、

金澤さんの人生の転機となりました。

 

そんな、金澤さんの人を惹き付ける

作品はこちらのページで

ご覧頂けます!

 

作品集|金澤翔子ホームページ

 

どの作品も、一文字一文字に

気持ちが込められていることが

伝わってきますね!

 

金澤さんは、ただ

「人に喜んでもらいたい」

そんな純粋な気持ちで、「書」を書きます。

 

そんなピュアな思いが

人々に感動を与えているんでしょうね!

 

こちらも是非ご覧ください!

 

まとめ

 

最後に、

「ダウン症」という

ハンディキャップがありながらも、

「書」の世界で、

ご自身の「翔子」という名前の通り、

羽を広げて、「飛翔」している、金澤 翔子さん。

 

現在では、海外でも個展を開いており、

日本だけにとどまらず、世界中に

感動を届けてくれています!

 

今後も、金澤さんの活躍から

目が離せませんね!

 

最後まで読んで頂いて、

ありがとうございました!

 

 

 

 

 


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