調べたい!

サリー・ラッドさんのフェイスブックが繋げた親子の絆を徹底調査!


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ぽんぴょこ
こんにちは、ぽんぴょこです!

 

昨今、ものすごい勢いでSNSが普及して、

卒業以来ずっと連絡が途絶えていた

学生時代の友人などと

簡単に連絡を取り合うことができるようになりました。

 

時代ですな~。

 

コミュニティが作れる懐かしのmixiから始まり、

出身学校や共通の友達から

「知り合いかも」と表示されるFacebookなどなど!

 

今はさらに繋がりやすくなりましたよね。

 

そんなSNSを通じて、友人だけではなく

ずっと探していた家族を発見する人もいます!

 

オーストラリアで暮らすサリー・ラッドさん

生まれてすぐに父親と離れ離れになり、

実の父親を知らずに育ちました。

 

それから半世紀ぶりに、Facebookを通じて

再会できたというのです!

 

半世紀ぶりとは、すごいですよね!!

 

そんな感涙もののストーリーが

422日のNHK「逆転人生」で放送されます!!

 

今回はその感動する物語の主人公、

サリー・ラッドさんについて調べてみました!

 

の順でお話ししていきますね。

 

 

 

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サリー・ラッドさんについて

出典:http://nichigopress.jp

 

名前 サリー・ラッド
生年月日 1961年生まれ
出身 オーストラリア 木曜島 生まれ

オーストラリア ブリスベン 在住

職業 教師

 

サリー・ラッドさんが生まれた、木曜島

 

オーストラリア北部に浮かぶ小さな島です。

 

島の周辺海域は真珠貝の生息地で、

明治時代から戦前にかけて、

真珠を採取する潜水夫(ダイバー)として

多くの日本人が働いていました。

 

サリー・ラッドさんは1961年生まれの57

 

木曜島で生まれますが、家庭の生活難から

生後6週間で養子に出され、島を離れます。

 

その後実母とは再会ができたそうです!

 

養父母と実母が連絡を取っていたのでしょうか?

 

再会できてよかったですよね。

 

実母から実父について聞いたのは

サリー・ラッドさんが20代のころだそう。

 

月日が流れた現在、サリー・ラッドさんは

教師としてブリスベン郊外に住んでいます。

 

その後、ついに実父との再会を果たすのですが、

何故55年も会えなかったのか?

 

また、フェイスブックで出会うに至った経緯について

詳しく調査していきますね!

何故行方不明に?そして何故55年も会えなかったのか?

出典:http://nichigopress.jp

 

201744日、2人は感動の再会を果たします。

 

2人とも幸せそうですね。

 

父親の島袋芳則さんとは、

半世紀ぶりの再会となります。

 

なぜ55年も会えなかったのでしょうか?

 

そこには様々な事情がありました。

 

島袋芳則さんは戦後の1957年、

真珠貝採取者としてオーストラリアの木曜島へ

出稼ぎに渡りました。

 

その時、サリー・ラッドさんの実母、

エリザベス・エリー・ボーンさんと恋仲になったのです。

 

ボーンさんがラッドさんを身ごもったさなか、

島袋さんが働いていた会社が倒産!

 

島袋さんは木曜島で働き続けられるよう

会社を説得しましたが、認められませんでした。

 

次の就職先を…と探しますが、

言葉が通じない場所で次の働き先を

見付けられない状況になってしまい、

沖縄に戻ることを決めます。

 

生きていくための

苦渋の決断だったと思います。

 

実は、真珠貝の採取は戦後も続きましたが、

乱獲による水揚げ量の減少や、

プラスチック製ボタンの普及で衰退していったのです。



 

その後1960年代初頭には廃れてしまったそう。

 

ちょうど衰退時期と重なってしまったのです。

 

離れ離れになってしまったのはとても残念です。

 

島袋さんは再会時のインタビューで

「すぐに戻りたかったが、沖縄の景気も悪く

再びオーストラリアに行くことはかなわなかった」

と振り返っています。

 

時代が時代です。

 

すぐに戻るなんてことは難しかったと思います。

 

サリー・ラッドさんはというと、

木曜島で生まれますが、家庭の生活難から

生後6週間で養子に出され、島を離れます。

 

その後実母とは再会ができますが、

実父の記憶がないまま育ちます。

 

その後、サリー・ラッドさんが20代の時

実母から父親は日本人だということを

初めて聞かされたそう。

 

実母も漢字までは分からなかったが、

沖縄から真珠ダイバーとして木曜島に来ていた

「シマブク・ヨシノリ」という名前で、

サリーさんが生まれる直前に

日本に帰国したと伝えられました。

 

実母からの話を聞き、

会いたい気持ちもあったと思います。

 

しかし自身も結婚・出産をし、その後離婚や

実母、養父母が亡くなるなど苦労もしていて

生き別れた父を捜す余裕もなく、

55年の歳月が流れてしまったのです。

 

 

 

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フェイスブックで出会うに至った経緯は?

出典:https://jisin.jp

 

娘と父は別々の人生を歩んでいました。

 

そんな矢先の2016年、サリー・ラッドさんに

ショックな出来事が降りかかります。

 

アーティストを目指し夢に向かい頑張っていた、

ラッドさんの長男ベンさんが、うつ病を患い

27歳の若さで自ら命を絶ってしまったのです。

 

母親にとってはどんなに言葉を重ねても、

言い表せない悲しみだと思います。

 

そんな人生のどん底だったサリー・ラッドさん。

 

ふと、ベンさんが幼い頃、

祖父の祖国に行ってみたいと

話していたことを思い出します。

 

そのベンさんの想いを果たしたい気持ちや、

自身の家族のつながりを大切にしたい気持ち

一層強くなり父親を捜す決意をしたそうです。

 

ですが、実父の情報がほとんどない状態で

どうやって捜して良いか途方に暮れていました。

 

そんな中、近所に住む親しい日本人女性の協力で

自身のフェイスブックに、実父を捜している事を

投稿することになります。

 

実父・島袋さんを捜すフェイスブックの投稿は

多くの人へシェアされ、なんと実父を知る人が

木曜島に在住していることが判明したのです!

 

そこから、友人や親族らを介して

再会へとつながったそう!

 

やっぱりSNSの拡散力はすごいですね…。

 

島袋さんは沖縄の地で新たな家庭を築き

子供にも恵まれていました。

 

子供にも幼い頃から、

オーストラリアの家族について話していたそう。

 

島袋さんもずっと会いたいと

心から願っていたんですね。

 

再会は、サリー・ラッドさん家族と

島袋芳則さん家族で行われたそうです。

 

まさに奇跡とも言える、感動の再会ですね!

 

是非合わせてご覧ください!

 

 

まとめ

 

養子に出され、生みの親に会うことは

とても大変だったと思います。

 

時間も費用もかかれば、

もしかしたら会えないという可能性だってあるのです。

 

また、サリー・ラッドさんも

再会時のインタビューでおっしゃっていますが

父が私に会いたくないんじゃないか

と心配していたそう。

 

自分の気持ちの整理や、相手はどう思うかなど

色々な葛藤があったと思います。

 

ですが、結果として

とても素敵な再会となり本当に良かったですね。

 

離れていた55年間という失われた時間を

埋める事はできませんが、

これから父娘としての時間を

大切に過ごしていってほしいです。

 

 

 


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